...小説


親父が死んだ


 俺の親父が死んだ。
 葬式が終わって、遺体の火葬をした。
 親父は、骨の形がわずかに分かるくらいに燃えてしまっていた。

 喪服のまま家の外でタバコを吸う。
 昼を少しすぎた時間。天気は悪い。今にも雨が降りそうだ。
 空を見上げ、人型の雲がないか探した。親父は天に昇っただろうか。いや、たぶん地面の下だ。

「清司?」

 タバコが短くなってきたところで声を掛けられたので振りかえった。
「母さん。・・・・・・終わった?」
「まだみんな清司さんのこと話してるわ。あなたも参加したら。息子の話も聞きたがってるわよ」
「・・・・・・あとでな」

 母さんは親父のことを名前で呼ぶ。

――せいじさん――

 親父は何を考えていたのか、息子の俺に同じ漢字の名前を付けた。
 俺の名前は、きよし。
 なんで同じなのか一度聞いてみたが、そんなことより・・・・・・、と誤魔化された。
 母さんにも聞いて見たことがある。
『清司さんがどうしてもって言ったのよ』
 だったっけ。

 母さんが俺の横に立った。
「酷い日ね。こんな日だからこそ良い天気であって欲しいのにね」
 へそ曲がりなこと言うもんだ。きっと良い天気であればそれを皮肉だと悪口言うのだろう。
「空も悲しんでるんじゃないの?」
 もちろん冗談だが、自分で言って歯が浮く。
 悲しんでる奴なんて、母さんだけだよ。
「悲しんでるのなんて母さんだけよ」
 自分の思ってることと同じことを母さんが言ったので、少し驚いた。
 でも誰しもそう思っているだろう。
 あんな陰険ジジイ。
「・・・・・・俺は?」
「あら、悲しいの? とても見えないわ」
 嫌味に笑いながら言われた。
 母さんは空をずっと見ている。親父を探しているんだろうか。だから地面の下だって、絶対。
 吸うところが無くなった煙草を地面に叩きつけて踏み潰した。
「悲しいよ」
 母さんがこちらを向くのが視界の端で分かった。
 悲しい。
 悲しいさ。
 死んだ人間にすら勝てないんだから。
 死んだくせに、母さんは親父しか見てないんだから。
 それが分かったから悲しいよ。
「・・・・・・それは良かった。ねえ、ジュース何本か買って来てくれない? 小さい子いるのに今うちに1本も無いのよ」
「分かった」
「よろしくね」
 そう言って母さんは玄関へ戻ろうとした。
 背中を向けられた瞬間、母さんの手首を掴んでいた。
 当然だが、母さんは振り向く。
「・・・・・・」
 じっと母さんの目を見つめた。黒のスーツの下は汗だくだったが平静な振りをした。
 母さんがゆっくりと瞬きをした。
 開けたときの目は、とても冷たかった。なに、ととても冷たく訊かれているような気がした。
 手を離した。
「行って来ます」
 その場を離れ、車に乗り、キーを思いっきり回した。エンジンの音がいつもより大きく聞こえて場違いな感じがした。
 そっと玄関の方を見ると、母さんは笑って手を振っていた。その姿に俺も微かに笑って手をあげた。


 いろんな種類のジュースの入った袋をを両手に下げて居間に行くと、親戚のやつらはまだ雑談をしていた。
 子供らにジュースを渡すと嬉しそうにコップを取りに行った。
「おお! 誰かと思えば清司じゃないか! お前どこほっつき歩いてたんだぁ?」
 親父の従兄弟でよく家に来ては話をしてくれる人だ。親父と仲が良かった唯一の人だろう。
 こっち来いこっち来い、と激しく手招きされたので座布団の空いている隣に座った。
「清司おまえ立派になったなぁ、喪服なんか着やがって」
「オジさん、さっきも会ったばっかじゃないすか」
「あははははは、まぁいいさ。それより、お前に話したいことあってずっと待ってたのによぉ」
「なんすか?」
 どうせいつものように大したことじゃないだろうと思い、適当に返事をして、周りをちらりと見渡した。人数は減る様子は無く、それぞれ話に盛り上がってる。全部親父の話だった。
「セイちゃんとお前の漢字の秘密だよ」
「え!?」
 これは興味を示さずにはいられなかった。
 『セイちゃん』とはオジさんが呼んでる親父のあだ名だ。ふざけて言い出したら気に入ったらしい。
「ほ〜ら乗ってきたなぁ。お前も気になってただろ。むかぁーし、セイちゃんに聞いたんだけどな・・・・・・」
「あ、それ私も気になってたのよ。兄さんそんなこと話してたのね」
 この人は親父の妹だ。
 叔母さんが言い出したのをきっかけにしたように、そう言えば俺も私もと人が集まってきた。
「で、親父なんて言ってたの?」
 今にも身を乗り出しそうだ。
 この話題に興味を示していないのは母さんとジュースを飲んでる子供達だけだ。
 ホントはセイちゃんに内緒にしろって言われてたんだけどな、とオジさんは言った。

「セイちゃんな、息子のお前に負けたくなかったんだと」

 え?

「だからわざと同じ漢字にしちまったんだと」
「なんで負けたくないからって同じ漢字にするのよ」
「それはあれだろ。う〜ん・・・・・・ライト級、ミドル級ってあるようにだな、条件を平等にする・・・・・・って言うのかなんて言うのかな・・・・・・知らん!!」
 台所にいる母さんを見た。
 母さんは椅子に静かに座っていた。微笑んでるように見える。
「でもな清司、セイちゃん後悔してたんだぞ。おんなじ漢字にしちまって、お、俺なんかと・・・・・・い、一緒じゃ可哀想なことしたって」
 オジさんは泣き出してしまった。大声をあげて泣いている。
 滑稽な泣き姿だなと思って他の皆をみると、つられるようにして泣いていた。

 悲しんでくれる奴は結構いるじゃないか。
 あんな親父でも。

「兄さん、そんな可愛いこと言ってたのね」
「本当、見かけに寄らずな」
 親父に対するイメージはみんな同じらしい。
 それでも悲しんでくれる奴がいるんだな。良かったな、親父。

「なんだ清司ぃ、泣いてんのか?」
 俺は顔を手で覆って、肩を大きく振るわせながら泣いた。
「あらキヨちゃん、やっぱり父親ですものね」
 自分がなんで泣いてるのか分からない。
 分からなかったけど、もしかしたらこれは親父の涙なのかも、と一瞬思った。
 だけどそれはきっと違う。
 親父は今、笑っているだろう。ほとんど見せなかった親父の笑顔が頭から離れない。

「おうおう、泣け泣け。それは勝利の涙だ」
「・・・・・・なんで?」
 顔を覆ったまま、まだ泣き声のまま尋ねた。
「お前、そんなにカッコ良くなりやがってセイちゃん敵わねぇって」
 頭を叩くように撫でられた。背中も撫でられた。きっと他のおじさんおばさんの手だろう。
 一番勝ちたかったところで勝てなかったんだよ、息子の俺は。
 母さんはどうしてるかな。
 きっと今は泣いてない。俺のいる前では泣かないだろう。母さんは優しいから。
「せいじの罪がまた増えたな。キヨ坊こんなに泣かすなんて」
 『キヨ坊』とは俺が子供の頃だけに呼ばれていたあだ名だった。


 空が暗くなりようやく家の中が静かになった。
 仏間に母さんとふたりで後片付けをする。
 仏壇には遺骨がまだ置いてある。意識がそっちに行ってしまいそうになるのは堪えた。

 綺麗に片付けも終わり、本当に家の中は静かになってしまったようだ。
 一つ増えた遺影をみつめる。遺影の中でそれだけがカラー写真だ。相変わらず陰険そうな顔をしてる。
 マッチのする音がしたと思ったら、母さんがロウソクに火を灯していた。線香に火をつけ、香炉に1本立てた。
 母さんの横に座って、乱暴に線香を取り、火をつけた。そしてその線香を乱暴に香炉に立てる。
「線香折れちゃうわよ」
 りん棒をとりあげて強めにりんを鳴らした。ひどく響いた。
 手を合わせて目を閉じた。
 心の中で何を言おうか決める前に目を開けて、止めた。
 隣を見ると、まだ手を合わせている。

「母さん・・・・・・」
 母さんは合わせていた手を離した。視線の先は遺骨だ。いや、俯いてるのか。
「なに?」
「俺もう寝るから」
「・・・・・・早いのね」
「うん。お休み」
 今度は俺の優しさだ。
 仏間を少し離れたところで鼻をすする音が聞こえた。


 俺の初恋はライバルの死によって敗北に終わった。


(おわり)

2006/7/25





トップ サイトについて 小説 絵/写真 素材 日記 掲示板 リンク DODEMOI webclap


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送