...小説


八百比丘尼


 五重郎という男がいた。
 この男は身体はがっちりしているものの、顔があまりよろしくないのでもてた例しが少なく、三十後半で独身だった。
 幼い頃に母を亡くし、父もその後再婚はせず、五重郎は父親のみに育てられた。
 そのためか、好いた女とは長くつづくことはなかった。

 ある日の夜、五重郎は帰路を歩いていた。
 友人の家でそうとう酒を飲んできたので、足はふらふらだった。
 酔いがさめかかってきた頃、五重郎は森に入っていたことに気づいた。夜で辺りは暗く、どこの森などということは全く分からなかった。
 酒の助けもあって、歩いていればそのうち出られるだろうと考えていた。

 そうして歩いているが、なかなか出られなかった。そろそろ、まずいと思い始めてたとき、水の音と人の気配がかすかにした。
 気になったので直感にたよって音のした方へ向かった。
 着いたところは小さな湖だった。
 中央ら辺には髪の短い裸の女がいた。肌は青白いが、胸は大きく尻の形はきれいだった。
 月明かりが眩しいくらいに湖をてらしていた。

 五重郎は女の姿に見とれたと同時に、裸の“女“を見て今までためていた性欲が一気にあふれた。
 素早く女を陸にあげてしまえば、こっちのものだと考えた。
 物音を立てないように近づこうとしたとき、女が小刀をもっていることに気づいた。
 だが、五重郎にとっては女の命などどうでもよかった。その時は自分の欲望を満たしたいとばかり思っていた。
 しかし女が次にしたことを見たときにはさすがに止まった。
 女は自分の腹を縦にゆっくり割いた。
 そして内臓を取り出した。血が広がった。
 そこまででも吐き気がした。
 次に女はその内臓を洗うように湖の水につけた。
 五重郎は腰を抜かしてしまい、いちもつはすっかり縮み上がっていた。女は五重郎に気づいたが、あわてる様子もなく少し申し訳なさそうに礼をし、背中を向けてまた洗い始めた。
 五重郎は力を振り絞って一目散に走って、その場から逃げた。

 五重郎は気が付いたら朝で自分の布団で寝ていた。
 昨夜のことは夢だったのかと少し安心した。酒飲んでたから不思議な夢を見たのだ、と忘れることにした。
 五重郎の、もう六十くらいになる父親の竹太郎は起きてきた息子を見て笑いながら話し始めた。
「昨日は夜遅くにあわてて帰ってきたがどうしたんだ。化けモンにでも遭ってちびって来たのか」、と半分からかうように言った。
 五重郎は竹太郎のその話を聞いて驚いた。
「それは本当か! 親父はぼけてるんじゃないのか」、と負けじと憎まれ口をきいた。
「馬鹿言え、誰がぼけるものか。てめぇが夜半に真っ青な顔して帰ってきたから心配してやったんだよ」
 途端に、五重郎は恐くなり、昨日の夜の森で見たことを竹太郎に話した。
 絶対に笑われると思ったが、五重郎の父親はまじめに聞いてくれていた。

「あれは狐か狸だったじゃないかって今思うよ」と一通り説明して、五重郎は言った。
「お前も無知だな。狐狸がはら切ってはらわた洗うわけねぇだろ」
 竹太郎は知ったかぶったように息子に話した。
「聞いたことあるだけだが、それは八百比丘尼(はっぴゃくびくに)だ」
「はっぴゃく・・・・・・?」
「そうだ、八百年生きるんじゃねぇのか。人魚の肉を食った尼さんだとよ」
「何ではらわた洗うんだ?」
「長生きしてると中身が腐ってくるんだと。だからたまに洗ってんだよ」
 竹太郎は目を輝かせながら五重郎に話した。
 五重郎は話を聞いているうちに、昨日の恐怖なんてものは忘れてしまっていた。

 やがて五重郎は四十になり見合いで結婚ができた。
 そのころにはそんな話など忘れてしまっていた。言われれば思い出すが、話を聞いた人たちなんかはなおさら忘れていることだろう。
 たった数時間や数年で忘れてしまうのだから、八百年以上も生きていたら、自分が食った肉がなんだったのかさえ忘れてしまうのだろう。


 五重郎が竹太郎に話したとき、竹太郎は最後に言った。
「実はお前は人魚の息子だ。母さんは殺されて、食われたんだ。もしかしたらその女が、お前の母さんを食った奴かもな。」
 五重郎は、だいの大人がそんなような話をまだ信じると思ってるのか、と馬鹿にして思い、信じなかった。
 竹太郎は昔から最後に蛇足を付け足すのだった。
 真偽は知らないが、どうでもいいことだった。


(おわり)




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