おばあちゃんが黙り込むと、もううんざりする。
おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くのは七年ぶりだった。
来年就職するという今年のお盆に、今まで避けていたおばあちゃんの家に行くことになった。親戚の集まりは年に二回、毎年おじいちゃんとおばあちゃんの家で行われている。
行かざるを得なくなったのは、私の就職先が決まり、忙しい言い訳ができなくなったのと、挨拶ぐらいしろとお母さんに言われたからだ。
昔はよく遊びに行っていたおじいちゃんとおばあちゃんの家。二階建ての古い一軒家。玄関だけが居間ほど広い。久しぶりに見るその家は最後に見たときと何も変わっておらず、良い匂いはしないものの、掃除もきちんとされていてきれいなままだった。
変わったのは、迎えてくれたとおばあちゃんが若干痩せたように見えたことだった。
「歳取ったね」
こっそりお母さんにそう言うと、月に一回ここに訪れている母は「そうかな」と言ってそそくさと靴を脱いで行ってしまった。
自分の脱いだ靴や親戚たちの脱いだ靴をそろえて、玄関で敢えてもたもたしていると、トイレから水が流れる音がして、従兄弟の兄ちゃんが出てきた。
「あぁ、久しぶりだな! お前毎年避けてただろ」
「忙しかったの。自分こそ毎年来てないで早くいい恋人見つけなよ」
「お前はいるのかよ」
「ひみつー」
兄ちゃんと話していればしばらくおばあちゃんのとこに行かなくてもいいかなと思ったが、家の裏の畑から野菜を採ってきたおじいちゃんに会い、そうはいかなくなった。
「早く中に入れ」
「……こんな時まで野菜採らなくてもいいのにー」
少しの皮肉を込めてそう言うが、聞こえているのか聞こえていないのか分からないが、おじいちゃんは何も言わずみんながいる居間に行った。
「ほんとに歳取ったね」
「大して変わらんぞ」
おじいちゃんの後に兄ちゃんが付いて行き、その後に私が付いて行った。
おばあちゃんに会いたくない思いから敢えて玄関で油を売っていたが、それが反えって自分にとって悪い状況になり、おじいちゃんとおばあちゃんのツーショットを見るはめになってしまった。
おばあちゃんに野菜の入ったボウルをぶっきらぼうにおじいちゃんは渡した。
受け取った野菜を俯くように一瞬見つめ、おばあちゃんは居間と繋がっている台所へ行った。
これが見たくなくてこの家を今まで避けてきた。
おばあちゃんはおじいちゃんが嫌いだ。
顔を台所から背けるように親戚たちのいる方向へ向けると、隣に座っているお母さんと目が合った。
お母さんもその二人の様子を見ていたらしく、苦笑いをした。
居間の奥にある二つの扉を見た。それはおじいちゃんとおばあちゃんの寝室で、居間の窓側の方がおじいちゃんの部屋で、台所側の方がおばあちゃんの部屋である。
その二つの部屋は二人の仲が悪い証拠だ。
小さい頃、一緒に寝ない理由をおばあちゃんに聞いたことがある。
『最初から別々なんだよ』
だから仲が悪くはないよと、お父さんとお母さんの話を盗み聞きしてべそをかく私に言った。
そして二人は仲が良いのだと幼い頃の私は信じたが、その信頼が崩れるのは歳を経ていけばあっという間だった。
おばあちゃんのおじいちゃんに対する態度を見ていると嫌になる。
この家にいれば、おばあちゃんがおじいちゃんを嫌っているのは誰もが気づく。
朝食を終えて食器もそのままに、黙って家の裏の畑に行くおじいちゃんをおばあちゃんは見ない。
洗面所から見える畑に立つおじいちゃんを、おばあちゃんは無視する。
おじいちゃんにお茶を出して、煎茶じゃないのかと呟かれたおばあちゃんは、俯いて黙り込む。
何も言わずにほうきで片付けをするおじいちゃんを見て、食器を割ったおばあちゃんは黙り込む。
私と遊んでくれないおじいちゃんに、背を向けて黙り込む。
私と布団に入って眠りにつく前に、おばあちゃんは大きな溜息をつく。
おばあちゃんが目を伏せて口を閉ざしてしまうと、私はうんざりする。
そんなおばあちゃんを見つめるおじいちゃんを見ると、心臓が小さくなってしまうかと思うくらい胸が締め付けられる。
居心地が悪くなった私は、中学2年生あたりから二人の家を避け始めた。
お母さんも二人の様子を見るのが嫌なのか、この家に来るときには決して楽しそうでなく、いる間もつまらなそうにしている。むしろ辛そうに見えた。
私はおばあちゃんが嫌いだ。
自分の家に帰って居間の明かりをつけるとお母さんは小さく「いやねぇ」とため息を付くようにつぶやいた。
その夜はテレビを見ていても楽しくなかった。
目をそらすおばあちゃんと、ちらちらとおばあちゃんを見るおじいちゃんの姿が頭から離れなかった。
それから約二週間後、おばあちゃんが熱を出して倒れた。
出掛けていた私はお母さんから連絡を受けて少し遅れて病院へ駆けつけたが、おばあちゃんの病気はただの風邪らしく、歳が歳なので一時的に入院させるとのことだった。
病室へ行くと、おじいちゃんが項垂れているのかと思うほど背中を丸くして、眠っているおばあちゃんのベッドの横に座っていた。
「お母さんは?」
「売店でジュース買ってくると」
話しかけるとおじいちゃんは元気そうに返事をした。
もう一つ椅子が置いてあったので、それをおじいちゃんの座る横に置いて座った。
おばあちゃんは私が来る前には目を覚ましていたらしいが、再び眠ったという。
「大変だったね」
「……ああ」
昼過ぎの病室は静かだ。眠るおばあちゃんの顔を見ていると、昔美人だったのかなと思った。
すぐにお母さんが戻ってきておじいちゃんと一旦家に戻ると言い、私はおばあちゃんの側にもう少し残ると言った。
しばらくじっとおばあちゃんの寝息を聞き、お母さんが買ってきた缶ジュースを開けようとしたとき、おばあちゃんが目を覚ました。
「あ」
「あら来たのね。心配かけてごめんね」
首を横に振り、缶のプルタブを引いてジュースを飲んだ。
「おじいちゃん一回家に帰ったよ」
「……そう」
おばあちゃんは起き上がって、微笑みのまま目を少し伏せた。
おじいちゃんの話は振るんじゃなかったと後悔した。沈黙を無視するようにジュースをちびちび飲む。
退屈になってきたので病室を見渡したり、窓の外を見たりしているとおばあちゃんが私の名前を呼んだ。見ると手をふとんから出して指をいじっていた。
「二人だけの秘密だよ」
いきなり切り出したので思わずぽかんとしてしまった。
「ばあちゃん、あんたの歳くらいの時にとても好きな人がいたんだ」
やだと思った。
「その人ね、私の初恋の人で、背がばあちゃんよりもすごく高くて、細くて、しかもすごく優しくて面白い人なのさね。かっこよかったな」
初恋の人について教えてくれるおばあちゃんの顔は笑顔で、とても楽しそうである。
「友達とお昼にお食事してたらね、帰りに声かけてくれて。それから手紙が来て、何回か会ったんだ」
「……」
「でもばあちゃんね、失敗しちゃったんだ。好きすぎて失敗しちゃった。だから振られちゃったの」
おばあちゃんは笑顔に悲しみを混ぜてそう言った。
「……なんでそんな話するの?」
「今日お昼ごはん食べた後に急に目眩がして、目を閉じた瞬間その人が見えたの」
嫌な予感が当たった。私はこわばる顔を必死に笑顔にして腕時計を見た。
「あ、ごめん! ちょっと明日までやらなきゃならないことあるから早めに帰るね」
座っていた椅子も残ったジュースもそのままにして、おばあちゃんに思いきり手を振って病室を去った。
病院を出るまではこらえていたが、車に乗った瞬間に涙が溢れ出た。その涙が家に帰るまでに治まらなかったので、家を通り過ぎて運転しながらしばらく泣いた。
おばあちゃんは昔の恋人をずっと好きだった。そして今でも好きで忘れられずにいる。意識を失う寸前に見た大切な人は、夫のおじいちゃんでも娘のお母さんでもなく、私たちとは全く関係のない昔好きだった人。
しかもその恋人はおじいちゃんとはまるで逆と思えるような人。
『すごく優しくて面白い人なのさね』
『かっこよかったな』
おじいちゃんはどうなるんだろう。
どうして諦めておじいちゃんにしたんだろう。
そのおじいちゃんとの子どもや孫はどうなるんだろう。
私たちの存在の意味はなんなんだ。お母さんのは……。
おばあちゃんは私たちが嫌いなのか。
次から次へとネガティブな考えが脳内を巡り、涙は止めどなく流れ出る。
おばあちゃんがおじいちゃんを嫌いであることを、おばあちゃん自身から知らされたショックが大きすぎて耐えられなかった。ずっと泣いていると、自分がおばあちゃんを嫌いなのか好きなのか分からなくなった。
西日がまぶしくなり、涙のせいもあって一瞬ハンドルをぶらしてしまうが、すぐに元にもどして何事もなかったように運転を続ける。それで焦ったおかげで少し落ち着くことができた。
少々疲れて涙はもう出せなかったが、泣いて目が真っ赤になっているので、やはりすぐ家に帰ることはできなかった。
その日からとてもおばあちゃんに顔を見せる気にはなれず、おばあちゃんが入院してから四日が過ぎた。
「おばあちゃん今日で退院だって」
「よかったね」
「あんた迎えに行って」
「えー!!」
「なんでそんなに嫌がるの。お母さん午後ちょっと用事あるんだよね。別に家に送ればいいだけでしょ」
なんで午前中に行かないんだ、他の親戚の奴らいないのか等と抗議するもむなしく、午後からおばあちゃんの退院の迎えに行くことになった。パジャマを着て昼食を食べながら、自分のテンションは下がっていった。
病院へ行くとおばあちゃんの準備はすっかり終わっていた。
車に乗ると、おばあちゃんは好きでないと思い音楽を消した。病院からおばあちゃんの家まで少し距離があるので、早く送り届けられるようにとスピードを早めにして運転をした。
ふと、おばあちゃんが入院した日に車の中で自分が泣いたことを思い出した。また暗い考えが浮かぶのをなんとか抑え、もうすぐおばあちゃんの家だというとこまで来た。
「あー、そういえばあそこの公園寄ってくれない?」
おばあちゃんが指差したのは家とは逆方向の曲がり角にある看板。
「でも早く帰って休んだ方がいいんじゃない?」
「少しだから。思い出の場所なの」
げ、と思った。
少しいらだちながらも、家で待つおじいちゃんを置いて行くような気持ちで、公園の方へ曲がった。
公園に着いて車を降りたおばあちゃんは特になにかするでもなく、屋根のあるベンチにただ座っていた。私はおばあちゃんと一人分の距離を置いて隣に座った。私は俯いたままずっと手の爪を触っていた。
ここ五日間、おばあちゃんの話した昔の話が頭から離れなかった。考えるのはいつも、おばあちゃんが自分の子どもたち、孫たちの誰一人好きでないのだろうということ。おじいちゃんとの孫の私は、もしおばあちゃんが例の恋人と結ばれた場合に出来た孫には負ける。おばあちゃんにとって私は価値のない子なのだろう。
また泣きそうになる。
「おばあちゃん」
「ん?」
「なんでおじいちゃんのこと嫌いなの?」
「はぁ?」
こんなこと訊いても意味が無いと感じたのでやめることにした。
「やっぱなんでも――」
「私がいつおじいちゃんのこと嫌いになったの?」
これにはさすがに腹が立った。おばあちゃんの顔を見ると少し呆れて笑っているような顔だったので尚更だ。
「なに言ってるのさ、みんな知ってるよ! おばあちゃんの態度見てれば分かるよ!」
十年近く抱えてきた悩みを今ここで解決できる安堵感は皆無で、ひどいことを言っているということに心臓は激しく鳴り、全身が鼓動しているように震える。
公園の遠くで遊ぶ子どもの声がやけに聞こえ、公園がとても静かに感じた。
私の言葉を聞いておばあちゃんは申し訳なさそうに俯いた。しかし俯いたのは申し訳ないからではなかった。
「嫌いなのはおじいちゃんの方だよ」
ごめんとでも言うのかと思っていたら全く違う言葉で驚いた。というかおじいちゃんのどこがおばあちゃんを嫌いなのかと思い、情けない声で聞き返してしまった。
「私はおじいちゃんのことずっと大好きだよ」
「だって昔の好きな人は!?」
私がそういうとおばあちゃんは笑った。
「何言ってるの、おじいちゃんは傷ついた私の心を癒してくれたんだよ。それにあんな奴なんか比べ物にならなくらいいい男だよおじいちゃんは」
そういっておばあちゃんは顔を真っ赤にして、照れるように顔を押さえながらにこにこ話した。
「だって倒れるときに昔の人のこと見たんでしょ? おじいちゃんじゃなくて」
「あれがおじいちゃんだったら困るな。だって私、倒れてあの人に会った時、振ってやったんだよ。思いっきり無視してね!」
それはそれは気持ちよかったと誇らしげに言った。楽しそうなおばあちゃんの顔はやがて曇っていった。
「……おじいちゃんは私のこと嫌いだろうね」
「なんで?」
「おじいちゃんの態度見ればみんな分かるでしょ。おじいちゃんを好きになればなるほど、私は嫌われていく気がする。だから怖くておじいちゃんのこといつもまともに見れないわ」
そうだ。おばあちゃんはおじいちゃんを見ないんだった。
おじいちゃんはおばあちゃんに素っ気なく接した後、いつもちらちらおばあちゃんのことを気にするように見る。もうそれは笑ってしまうくらい分かりやすく。
泣きそうな顔をするおばあちゃんの横で、私は顔がにやけるのを抑える。
ずっと抱えていたおばあちゃんに対する嫌な思いは、たった一言おばあちゃんがおじいちゃんを好きだというだけで、すっかり消えてしまった。お母さんにこのことを教えたい。
いつの間にか私はおばあちゃんのすぐ横に座っていた。
「今日おばあちゃん家に泊まろうかな」
おばあちゃんと家に帰ると、おじいちゃんが遅かったと駆け寄って迎えに来た。
おじいちゃんとおばあちゃんの家には親戚の何人かがいた。おばあちゃんの退院後の様子を見に来たのだろう。
お母さんにこの家に泊まることを告げると、着替えや洗顔道具等を持って来てもらった。
「ねぇお母さん。おばあちゃんはおじいちゃんのこと好きかな?」
「なにいってんの。好きなのは父さんだって。もう母さん入院中も朝早くから見舞い連れてけって毎日うるさいんだから」
ほんと分かりやすい! と言ってお母さんは夕飯の支度をし始めた。
そんな健気なおじいちゃんが愛おしく感じた。そしてそこまで愛されるのに全く気づいていないおばあちゃんも。二人とも両思いであることを知らないなんて。
夕飯をみんなで食べた後は解散し、私とお母さんと兄ちゃんが残って後片付けをする。結局親戚が集うとお酒が交じる。おばあちゃんとおじいちゃんはとっくの前に寝ている。
片付けが終わり、私は寝ようとしておばあちゃんの寝室に入った。
「ちょっと、おばあちゃんどこにいるの?」
寝室にはおばあちゃんはいなかった。すると兄ちゃんが家中調べたが、おばあちゃんはどこにもいなかった。
「やだ、まさか」
「なにお母さん」
「おじいちゃんの部屋にいるんじゃない? 確認しなきゃ!」
私と兄ちゃんはその発想に驚いたが、すかさずお母さんを止めた。
「おばさん、やめとこうって。なんかしてたらどうすんのさ」
「バカだねあんた! あんなクソじじばばがなにするってのさ」
「口悪ぅー。おばさん聞こえてたらヤバいよそれ」
三人でうるさくないように笑いあった。
お母さんの言う通りだと思った。おじいちゃんとおばあちゃんはなにもしていないだろう。
ただ二人で向かい合って、おばあちゃんが目を閉じているときにおじいちゃんが目を開けて、おじいちゃんが目を閉じるとおばあちゃんが目を開けるんだ。そうやってすれ違いながらだけど、ずっと愛し合っていくんだ。そう想像すると顔がほころんでいく。
「幸せだよね」
思わずそうつぶやいた。
少し寂しかったけど今日はおばあちゃんの寝室で一人で眠ることにした。
おばあちゃんの枕で眠ると、夢を見た。
公園のベンチに座って涙を流すおばあちゃんにおじいちゃんが話しかけていた。
(おわり)
2009/8/27
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