彼女は、私にとって生徒のような存在だった。
若くて、美しい。
他にも生徒のような人間はいるが、彼女は少し特別だ。
彼女は、もちろん私が絵を描いているということを知っている。
彼女との出会いのきっかけは、彼女が私の元に訪れたことだった。
「すみません」
「はい?」
礼儀正しく、落ち着いた様子で話しかけてきた。
「あなたはレオナルドさんですね?」
「あ、あぁそうですよ」
少しだけ見とれてしまってた。
私が答えると彼女は顔がくずれるほど笑った。この顔はあまりきれいでないと思った。
「わたし、あなたをとても尊敬しているんです。みんながあなたのことを天才だと言っています。」
「そうだねぇ」
天才。少し聞き飽きてきた言葉だ。
わたしは若い頃からいろいろな研究や理論でいい成績を残してきたので、周りの人間はわたしのことを“天才”と呼ぶのだ。
この女性も同じなのかと少しがっかりした。
しかし考えてみればそんなことはどうでもよかった。彼女は美しかった。
「ねぇ、レナード」
あれから彼女とは度々会うようになり、彼女はわたしを呼び捨てするようになった。わたしがそれを望んだのだ。
最初は、年上である(しかも天才と呼ばれる)わたしを呼び捨てにするのには彼女もなかなか慣れなかったが、今ではすっかり平気なようだ。
「ン? どうした?」
「この話の意味がイマイチ分からないの」
「どれどれ」
「わたしには少し難しすぎたわ」
「そんなことはない。論点を押さえれば頭のいい君には分かるよ。この話はコレコレこういう事を言っているんだ」
彼女は頭がよかった。読めといわれた本はしっかり読んできて、解けと言われた問にも時間がかかることはあるがしかっり解いてくる。
彼女は美しく、頭がよく、したたかで、わたしは好きだった。
ただ嫌いなのははじめて出会ったときのあの笑顔だ。大して醜いわけではないのだが、もとがきれいなだけ、相対的に醜いのだ。
そして今、彼女はその顔をわたしに向けている。
「さすがレナード。ありがとう」
その顔のまま彼女はわたしの部屋を出ていってしまった。
ある日、いつものように彼女がわたしの部屋を訪れた。
他愛もない話をしていて、ふと、わたしはずっと気になっていたことを彼女に尋ねた。
「君は恋人とかいないのかい?」
今まで、何となく訊いてはいけないような気がしていたので訊けないでいた、この疑問。どうして急に尋ねたくなったのかは分からない。
怒ってしまわないだろうかとか、嫌われないだろうかとかと色々考えていた。少しだけ後悔している。
「恋人はいないわ」
つい勢いに乗ってしまった。
「君みたいな若い娘は好きな人がいるとか?」
「・・・・・・」
彼女の返事がなかったとき、ものすごく後悔した。背中にかゆいくらい汗をかいた。
「すまない。少しオヤジ臭かった」
「いいえ」
それから話は盛り上がらず、彼女は時間だと言って帰ってしまった。
大きな溜息が出た。明日も彼女はここに来てくれるだろうかと不安になった。
次の日、彼女は来てくれた。
その瞬間、わたしはどうしてあんなつまらないことで悩んでいたのかと自分を笑った。
彼女の様子は以前と特に変わっていなかった、と思う。
「モデルになってくれないか?」
それから日が経ちほとんど忘れかけた頃、わたしは彼女に絵のモデルを依頼した。
少し前に気づいた。彼女が美しいうちに絵に描かなくては、と。
「いいわよ」
彼女はあっさり言った。特に喜んでるわけでも嫌がってるわけでもなかった。。
「ありがとう。今準備するよ」
風景の絵が描いてある壁の前にイスを置き彼女を座らせた。
「服はどうしたらいいかしら?」
「あぁ、ちょっと待ってて」
そう言って寝室にあるクローゼットから使っていない大きな黒いスカーフを引っぱりだしてきた。そしてこれを彼女の肩にかけた。
彼女はその時手に持っていた本を膝の上においていた。
「せっかく描かれるんだし笑ったらいい?」
それだけは止めてくれと思った。
「いや、表情はつくらなくていいよ」
彼女がどの角度から見たら一番美しく見えるか考えて、何度か移動したりした。
右ななめがきれいだった。
彼女の右ななめ向かいにキャンパスと自分の座るイスを置き、彼女をじっと見つめた。
若い頃からの癖で構造から考えないと絵が描けない。つまり彼女の裸を想像することになってしまった。
おもわず赤面してしまった。気づかれないように少し下を向いた。
自分が情けなくなった。画家がモデルの裸(の想像)で恥ずかしくなるなんてあってはならない。
何とか冷静を保ち、絵を描き始めた。
本当に美しかった。黒い衣装が彼女の白い肌を光らせた。
「すきだ」
ついに言ってしまった。自分でも恐れていたことだ。いつ理性を失って告白してしまうのではと。
すると彼女は微笑んだ。
わたしはその彼女の顔を見て驚いた。今まで気づかなかっただけなのか、初めて見る顔だった。
さっきまで描いていた絵を早速訂正した。そして彼女のその表情を一心に描き始めた。
彼女はずっと微笑んでいた。
愚かだ。今まで彼女のこの微笑みを知らなかったなんて。
彼女の表情の中でもっとも美しい“微笑”。
それはわたしだけのものなのかも知れない。
(おわり)
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