その村では、雪女の歌を聞いたものは山に連れていかれると言われていた。
ふと思い立ったように、夜中に歌が聞こえてくる。
その美しい歌声にたちまち心は捕われ、その者は操られるように雪山に去っていくのだそうだ。
だからその村の人々は、夜は戸をしっかりと閉めきったことを執拗に確認する。
誰も雪女に連れていかれぬよう。 特に、若い男や子供がいる家は。
村人はその雪女をある名前で呼ぶ。
――結ゆい、と。
その村に、一人の男が訪れた。 名は助六すけろくといった。
姓はない。寺に捨ておかれていたのを拾って育ててもらったからだ。
雪女に悩まされる人々の噂は、助六のいる寺にも届いていた。
そこで寺の和尚に、助六は様子を見てくるよう頼まれたのだ。
助六には、見えないものを見る力もあり、そのせいもあるのだろう。
それから、雪深い寒さ厳しいこの土地に来るのもなかなか大変である。
その能力のために、若いがそれなりに場数を踏んだ者が寄越されるのも、なるほど道理と言える。
助六は、さっそく話を聞こうと、まずは村長の家を訪れた。
というより、家の中で温まりたいというのが本音なのだが。
髪は剃ってはいないが、僧の格好をしている助六ではあったが、話をそれなりに通していたため、すんなりと中に入れてもらえた。
そして村長から、雪女――結の話を詳しく聞いた。
「いつからかは知らんが、少なくとも俺の爺さんの時にはいた。歌いだす夜に何の規則性も見当たらない。そして、その歌声を聞いてしまったものは、誰彼かまわず雪山に連れていってしまうんだ。正確には、聞いた者が自分から山に向かうんだがな。だが雪女の仕業に違いあるまい」
助六は、その晩は村長の家に泊めてもらい、夜を明かした。
そして次の日の朝、助六は村の裏にある山に向かっていた。
雪女がいるというその山に。
山の上へと登っていけばいくほど、天候は悪化していった。
雪も風も激しく助六を打った。 白く視界が閉ざされていく。
雪もより深くなっていき、前へ進むのが難しくなっていった。
さらに、防寒具をつけていても、容赦なく体温を奪われ、そのせいで足も動かしづらい。
そろそろ引き際かと考えたその時だった。
音が消えた。
相変わらず周りは白かったが、閉ざされた圧迫感も消えた。
助六は何事かと、辺りを見回す。
すると、今までいなかったはずなのに、目の前に急に全身真っ白な女が現われた。
髪も白い、肌も白い、着物も白い、帯も白い、その瞳も、やや冷たく青みを帯びているが、白かった。
白く、濁っているのか。 助六はその目に違和感を覚えた。
「お前は何者だ」
誰何の声が助六の耳に届いた。
目の前の女の口が動いたから、恐らく女の声だろう。
というのも、その声が山全体から聞こえてくるようで、どこから聞こえたのかつかめないのだ。
「……俺の名は助六という。お前は……結、か」
こんな雪山で女が一人など、雪女以外に考えられない。
女はにやりと口を歪め、助六に近づいてきた。
「そう、私は結。私を知っていて、なぜお前はこの山に来たの」
女――結はそう言うと、うかべていた笑みを消し、助六の頬に手をそえた。
「!」
助六は思わず身を退いた。
なぜなら、彼女の手に触れられた場所から不審な音がし、その頬にしびれるような痛みがはしったからだ。
助六が触れてみると、冷たかった。
そして、触った自らの手に水がついた。
凍っていたのだ。
助六の驚いた顔を見て、結は小さく声を出して笑う。
その声も、小さな氷の粒がぶつかり合うような音に聞こえた。
助六は驚いてばかりはいられないと、なんとか我に返る。
「ならば俺も聞く。村の者が歌の聞こえる晩に姿を消す。それはお前のしたことか。俺はそれを調べに来た」
結はその言葉を受けて、急に顔を曇らす。
「知りたければ自分で探しなさい」
そう言うと、結は一瞬にして、何もなかったかのように消えた。
「……俺は答えたのに」
助六はしばしその場に呆然と立っていた。
助六はまた山を登っていた。
天候は相変わらず悪かったが、あぁ言われてしまっては、そのまま帰るのはなんだか悔しい。
何かを見つけて帰りたい。
調べろと言ったのだから、調べてやろうじゃないか、という気にもなる。
雪をかいて進むたび、足がしびれていくが、助六は気にせず進んだ。
手足に力を入れづらくなっているため、なるべくなだらかな所を選ぶように登る。
――だいぶ登ったな。
助六はふと立ち止まり、辺りを見回した。
助六は、吹雪が少し弱まったような気がしていた。
雪はまだ細かく降っているが、肌を突き刺していた風が少し弱まったように感じる。
だから、周りの様子を少し見れるようになっていた。
――……あれ……。
助六は前方の右側に妙な風の流れを見つけた。
雪の塊しか見えないが、雪が流れているのとは違う動きをする場所がある。
何かと思って近寄ってみると、人一人が入れるぐらいの洞穴があった。
中は真っ暗で様子を探ることはできず、入るのがためらわれるが、助六は意を決して穴の中へ進んだ。
入った時、何か外と違う匂いを感じたが、気にしないことにした。
風は穴の入り口で踊るだけで、中にはそれほど強く入り込まなかった。
真っ暗な中では何も見ることができない。
助六は明かりをつけた。
温かな火は、自分の中のぬくもりをまた改めて感じさせてくれる。
と思ったのも束の間。
「!!」
明かりをつけて目に飛び込んできた中の様子に、助六は息を飲んだ。
助六の周りには、たくさんの人が重なるように倒れていた。
そのどれも、青白い顔して、目を閉じている者もいれば、宙に虚ろな目を向けている者もいた。
しかし、温かな息をしているような気配は全く感じられなかった。
よく見なくても、生きていないことはなんとなくわかった。
入る時に嫌な予感はしていたが、的中してはほしくなかった。
もしかしたら、この中に行方不明になった人達がいるかもしれない。
しかし、助六が見たところでその確認はできない。
遺体の確認は早い方がいいだろう。
それに、退く良いきっかけにもなった。
助六は、我慢してきたが、一度落ち着くと手足の冷えがひどく辛い。
凍傷だけは御免こうむりたいところであった。
助六は、一度山を下りることにした。
そうして村に着いた時には、少しふらついてしまうぐらい助六は疲れ切っていた。
山を登っている時は全く感じていなかったが、やはり疲れがたまっていたのであろう。
そうして村長の家になんとか着いた助六は、荒い息の中、なんとか洞窟のことを伝えると、緊張が切れたのか倒れこんでしまった。
助六が気づいた時、彼はちゃんと布団をかぶって寝かされていた。
傍らにいた村長は、助六の話を村の皆に伝えたら、すぐに代表して村人数名が山に向かったと話してくれた。
村長自身は、村を守る者として、また助六の様子も見るために残ったという。
「……それから、聞いてもらいたいことがあるんだ……」
村長は、神妙な面持ちでそう切り出した。
助六も、じっと耳を傾ける。
「……実は結は、この村の者だった……」
村長のひいひいひいひいひいじいさんの頃の話、結はこの村でごく普通に暮らしていた。
ただ違うのは、彼女には両親がいなかったということだけ。
村の者と縁があったらしく、両親が死に、親戚の間をたらい回しにされ、行き着いたのだ。
もちろん生活は豊かでなかったが、器量も良く、美人であった結は、この辺りの地主の息子に見初められた。
少し人見知りをするのか、あまりお喋りをする方ではなかったが、彼女には悪いところは見当たらない。
なぜ親戚の間をたらい回しにされたのか。その理由は彼女の声にあった。
彼女の声は不思議なもので、街にできた作物を売りに行った時に、客寄せのために調子をつけて宣伝をすると、客が引き寄せられる。
最初は皆ありがたがっていたが、次第に気味悪がられ、災いを呼ぶ声と言われるようになった。
そして、それに引き寄せられたのが別な意味の客だった。
彼女はその地主の息子に囲われることになった。
村人にとってもありがたいことだった。
災いを呼ぶ娘が去るのだから。
つづく(中編へ)
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||