...小説


雪切恋歌 後編


 しばらく暗い道を進み、外の吹雪の音も聞こえなくなってきた。

 洞穴の中のはずなのに、どんどん熱が奪われていくようだ。

 手足の感覚、果ては頭さえ朦朧としてくる。

 助六を前に進ませているのは、もはや気力だけだった。

 と、急に開けた場所に出た。

 そこだけ、青く光る壁に囲まれていた。

 いや、よく見ると岩に氷が貼り付いて、青く反射していた。

 こんな洞穴の奥なのに、なぜ光るのだろうか。

 そして、青白く光るからこそ、見えなかったものが見えてしまった。

 数名の、反射する光と同じような顔色の人達が倒れていた。

 恐らく、状態としては入り口にいた者達と変わらないだろう。

 違うのは、まだその状態になったのが新しいということだけか。

 やはり、こういうことになったか、と助六は少し顔を歪めた。

 助六がその状態をしばらく眺めていると、上から声が降ってきた。



「お前もわざわざこうなりに来たの?」

 そして氷の粒がくだけるような小さな笑い声が聞こえる。

 助六は驚いて、反射的に上を向いた。

 そこには、予想通りの姿があった。

 宙を漂う、全てが透けるように青白い結の姿があった。

 彼女は楽しそうに笑っていた。

 一度開き直った助六も、口の端を吊り上げて笑みを作った。

「いや、俺はお前と話をしに来たんだ」

 結は忌々しげに顔を歪めた。

「私はお前なんかと話すことはない。その減らず口、凍らせてしまうよ」

 結はふわりと助六の前に高度を下げて、口に手をかざそうとする。

 助六はその手を強く掴んだ。

「!」

 結は驚いて目を見張る。その場から動けなくなる。

「俺としては、このまま死ぬってのは困るんだよな。少しぐらい、話はできないもんかな」

 助六は変わらず笑みを浮かべたまま結を見る。

 その手はだんだんと凍り始め、大きく震えだす。



「は、離せ!!」

 結は恐怖の色を顔に浮かべ、大きく手を振って、助六の手を振りほどいた。

 助六ははじかれた手を、もう片方の手で掴んだ。

 でないと、そのまま手がどこかへ行ってしまいそうだったからだ。

 だが、目線は結からそらさない。



「何も怖がることはない。ただ、少しだけ俺と話をしよう。こんな所に一人でいて、色々鬱憤とかたまってるんじゃないのか?」

 相変わらず薄ら笑いを浮かべている助六を、結は目をきつくして睨んだ。

「私は山とずっといた。山が全てを受け入れてくれた。お前は私と山の間に入って、私と山のことを知ろうとする。気に入らない。お前が気に入らない。私は人を捨てることで山と共にいるのに、お前はなぜ人として山と触れ合えるのか。お前などに何がわかるの。全てに受け入れられてきたお前に、全てに拒否された私のことがわかってたまるか!」



「お前はわかってほしいんじゃないのか?」

 結の怒りと悲しみで大きさを増す声を、助六の冷めた、だがどこか包み込むような温かさを持った声音が制する。

 結は言葉を紡げなくなった。そして、助六から目をそらせなくなった。

 助六は、少し笑みを和らげる。

「言葉が話せるなら、お互いにわかり合うために話し合おうじゃないか」

「一体、何を話そうと言うの」

 結は興味深そうに助六を問う。

 助六はその場に腰を下ろし、結を見上げた。

「何でもいい。何か、人に聞いてもらいたいこととかないのか」

 結は一瞬考えるように眉を寄せた。

 だがすぐに表情を戻す。

「お前のことを聞かせて。お前は一体何なの」

 助六は、意外な答えを聞いたように、少し目を見開いた。

 だが、また淡く笑顔を浮かべる。

「俺か。何だと聞かれて、こうだと答えることはできないな。生憎、俺はあんまり難しいことを考えれないんだ。お前は俺の何を見てそう聞く」

 まるで謎かけをしているみたいだ、と互いに思っていた。

 いつのまにか結も、助六と向かい合うように地べたに座り込んでいた。

「お前は山と話ができる。どうしてなの」

「別に話ができるわけじゃない。山はいつも何かを出してる。山にはそこにいる動物や植物もいるから、その全てから出ているものがあるんだ。人間はそれを感じ取るのが苦手なだけだ。お前も、そういう姿になって、人間の時わからなかったものがわかるようになっただろう」

「私は人を捨てたからわかるようになった。なぜ人間のお前がそれをできるの」

「さぁ、生まれつきこうだった。もしかしたら、俺は人間じゃないのかもしれない。こういう格好で生きてい動いてるものが人間だなんて、誰が決められる?」

 結は助六の言葉の端に何かを感じ取ったのか、目の色を変えた。

 助六もそれに気づき、結から視線をそらさない。

 これはもう謎かけではなく、駆け引きになっていた。

「私はお前を人間だと思っている。少なくとも、お前からは人間の匂いがする。他のどの動物とも違う、生臭くて、汗臭くて、泥臭い匂い」

「何だ、俺はそんなに臭いのか」

 助六は顔を歪めて笑った。だが、目の色はそのままだった。

「そういう言い方をすると語弊があるけど、不思議と落ち着く匂いなのよ」

 結は懐かしむように、目を細めて、視線を下げた。

 少しの間の後、助六の声がした。



「人間の匂いは懐かしいか」

 結はハっとして目線をあげる。 彼の声が先ほどより近くに聞こえたからだ。

 すると、結の目の前には助六がいた。

 結は固まった。懐かしさにも似た、切ない気持ちが急に湧き上がってきた。



「………あぁ、とても懐かしいよ……」

 結は耐え切れなくなって、自分の膝に視線を落とした。

 涙などとうに乾いたはずなのに、目が熱くなる感覚を覚えた。

 たぶん、駆け引きは自分の負けだと結は思っていた。

 この男の声は、凍っていた自分の心を温かくさせた。

 最初に会った時から、何か気になる存在だった。

 今思うと、それはこの男にどこか自分と似た空気を感じていたのかもしれないと思えた。

「お前は、山と話して私のことを知っているのに、私はお前のことを何も知らない」

 今までとは違う、悲しげな声音に、助六は少し戸惑った。

「お前は何が言いたいんだ」

 助六は、結の頬に手を添えて、自分の方に顔を向かせた。

 顔が見えないと、何を考えているのか読めない。

 男ばかりの環境で育った助六には、女心というものがいまいちわからなかった。

 人外の者と話す時、意思疎通が図れなくなることは危険極まりない。

 そういうことから咄嗟に出たものだった。

 だが、結に触れた途端、助六の爪先から音をたてて凍り始める。

「!」

 結は慌ててその手を叩いてはがした。



「お前は馬鹿か! 私に触れば己が凍りつくと知っているのに、なぜそうやって私に触れるんだ!!」

 助六は手を振って、手についた氷を落とした。

 表面にしかついていなかったので、さほどのダメージはなかった。

「触れないと、何も始まらないだろう。少なくとも、俺は触らないとわからないんだ」

 何でもないことのように助六は言った。

 結はその言葉に一瞬のどが詰まる。

 自分は触れることが恐ろしかった。

 誰かを傷つけるのではないか、誰かから傷つけられるのではないかと、いつも怯えていた。

 だから、誰ともわかりあえず、誰にも受け入れてもらえなかったのだろうか。

 結は、その目は宙を見たまま、止まってしまった。

 だが、やがて、ゆっくりと助六の方を見る。

「……私は触れなかったから、誰の側にもいることができなかったのかな……」

 その顔には、自嘲的にも見える笑みが浮かんでいた。

 助六は、その顔が痛々しくて思わず奥歯を噛みしめた。

 咄嗟に腕が伸びて、結の体を抱きしめていた。



「……俺が、側にいるから……」

 助六もどこか結に自分を重ねていた。

 嫌われることを恐れて、皆の顔色を伺ってこびへつらってきた自分。

 境遇は違えど、人の温もりを求めていたことは変わりない。

 自分は受け入れてくれる人がいたから、今まで生きてこれた。

 自分にもしそういう人がいてくれなかったら、自分ももしかしたら人でないものとしてこの世を彷徨っていたかもしれない。

 助六は一層きつく結を抱きしめた。

「……は、離せ! そんなことをしたら……!」

 結は突然のことで一瞬動けずにいたが、我に返り、助六を引き剥がそうとする。

 その間にも、結に触れている助六の体は音をたてて凍りついていく。

 今度は助六は簡単に離れなかった。

 結は仕方がないと、局部的に強い風を起こして助六を壁にたたきつけた。

 助六は少しうめき、それでも顔を上げて結を見た。

 だが、体力の消耗が激しかったのか、その場から動くことができなかった。

 どちらも白い息をあげていた。

 外気は刺さるように冷たいのに、不思議と助六は寒さを感じなかった。

 もう感覚も麻痺しているのかもしれない。

 だが、まだ眠くはない。大丈夫だ。

 助六は自分にそう言い聞かせた。



 結は恐怖と驚きと悲しみと切なさ、様々な思いが入り混じった顔をしていた。

 求めていたものは目の前にある。

 今拒否をしなければ、自分は寂しく山に溶け込むことはない。

 山の一部でしかない自分は、いつか自我さえも山に溶け込み、完全に山の一部となるだろう。

 誰かが一緒に自分といてくれるなら、何も思い残すことなく山と一緒になれる。

 だが、結の何かがそれを拒んだ。



「……お前の願いは何だ」

 助六の小さい苦しげな言葉に、結はそらしていた視線を助六に移す。

「お前と一緒に俺が眠ると答えても、満足してくれないのか。お前は何が欲しい。何を欲するんだ。お前がそのままだから、山は冬を迎えているのにいつまでも眠りにつけないんだ。だから俺に声が聞こえてくるんだ」

 山は冬に眠る。全ての生物が冬に眠る。

 だが結がいるから、山は眠れない。

 結がいつまでも生き物から力を吸い取るから、山もそれを吸い取って覚醒し続ける。

 山は、いつだって結の側にいた。

 村の人に煙たがれた幼少の頃も、地主の息子の家から逃げ帰ってきた時も。

 山だけが結を迎え入れてくれた。

 なのに、自分はその山に何もできていなかった。

 ただただ山に負担をかけていただけだった。

 助六の言葉が結の心に深く深く、重石のように沈んでいく。 一つ、二つ、三つ……ゆっくりと確実に沈み込む。

 沈み込むと同時に、彼女の目から乾いた音をたてて、何かが落ちた。

 からり、からり、彼女の目から氷の粒がこぼれていた。



「……私は……私は……」

 結はうわ言のように繰り返す。 彼女の膝には氷の粒がたまっていく。

 助六はただ黙ってそれを見ていた。

 本当は近づきたかったが、近づいて刺激したくなかったし、なによりやはり自分の体力に限界がきていた。

 そうしていると、だんだんと氷の落ちる音がやんでくる。

 そして、一つも音がしなくなった。



「……私の望んでいたものがわかったよ」

 結は立ち上がって、自分の足で助六に近づいてきた。

 彼女が地を踏む度に、氷のはじける涼しい音がした。

 その音は、鈴の音にも似ている、優雅で繊細な響きだった。

 そして、助六の目の前にきて、しゃがみこんで、彼と目線を合わせた。

「だけどその前に、一つだけ私のわがままを聞いておくれ」

 結がぎこちなく笑顔を作った。初めて見る、彼女のちゃんとした笑顔だった。

 助六も結を見つめたまま、笑顔を浮かべる。

「あぁ、何だ」

 結は助六の口元に手を添える。肌に触れない際で止めて。

 そして、彼に口づけた。

 それは長く続いたように助六は感じていたが、実際のところはわからない。

 だが、彼女が口づけた瞬間、助六の体の中に何かが流れ込んできた感覚はあった。

 助六は少し戸惑った表情を浮かべて結を見た。

 結は先ほどと同じ微笑を浮かべたままだ。

「私の願いは山と共にあること。私は山に溶け込み、土となる。そうして皆の仲間になる。だけど、お前にだけは、私があったことを覚えていてほしいの。だから、その証をお前に植えつけた。これが私の最後のわがまま。……お前は、私を覚えていてくれる?」

 最後の言葉で、彼女の笑みはまた悲しげに歪んだ。

「当たり前だ!」

 助六は、悲しい気持ちを打ち消したくて、大声で答える。

 自然と目頭が熱くなり、涙がこぼれた。

 だが、その目は結を見ていた。

 一時も結から目を離したくなかった。

 結はその顔から悲しさを消して、喜びの色を濃くする。

 そして、助六の涙を指で掬い取って、自分の頬にこすりつけた。

「温かい……。もう少し早くお前のような人に会えていれば、私は何か変わっただろうか……」

 結は目を細めて助六を見た。彼女の体からは、光る粒子が溢れ出していた。

「……今更、か……。私はいつまでもここにいる。ずっと……お前と一緒だよ……」

 そう言った途端、結の形が崩れ去り、眩い光が洞穴中に広がった。

 助六は耐え切れず、顔の前に手をかざし、目をつぶった。

 その時、聞き覚えのある歌が聞こえたような気がした。

 遠い母を思わせるような、優しげな音色だった。



 次に目を開いた瞬間には、結はいなかった。 ただ洞穴の部屋があるだけだった。

 その部屋も、先ほどよりは寒くない。

 壁に凍りも張り付いていなかった。

 助六はただ呆然とその場に座っていた。



 と、身じろぐ気配がした。

 何かと部屋中に視線を巡らすと、転がっていた人達が起きたのだ。

 結は人体の熱を奪って、力にしていた。

 先ほどの光は奪った熱だったのか。結は自分の中にあった奪った熱を戻したのか。

 そこまで考えて、助六は意識が途切れた。





 そうして、次に目覚めた時には、村長の家にいた。

 見覚えのある光景で、もしかしたらさっきのことは夢だったのではないか、という思いも沸いてきた。

 目を移すと、傍らには村長がいた。

 だが、今度の村長の顔は、前と違って笑顔だった。

 助六はゆっくりと起き上がろうとする。

 だが、村長が手を出して止めた。

「まだ安静にしていなさい。凍傷がひどいから、温めているところだ。お前は運がよかった。それ以上ひどかったら手の一本や二本切らねばならなかったからな」

 助六は寝たままの姿勢で、村長を見た。

「村の者は、どうした」

 少しのどの調子も悪いようだ。かすれた声が出る。

「様子を見に行った者は無事に戻ってきた。その前に行方不明になった者も、ケロっとして戻ってきたヤツもいれば、まだ意識が朦朧としてるヤツもいるが、みんな一応生きて戻ってきた。お前のおかげだよ。ありがとう」

「別に、そんなこともないだろうさ」

 助六は自嘲気味にそう言った。

 正直言って、自分が何をできたのかよくわからない。

 自分が結にどういう影響を与えられたのかもわからない。

 でも、とりあえずは、最後に結の笑顔が見れたから、よしとしておこうと思うだけだった。



「その体じゃ、しばらくは動けないだろう。動けるようになるまでとりあえずうちで休むといい。帰る時に金も渡そう」

 村長はそう言って、奥へと向かった。

 蒸気が吹き出る音がしたから、お湯でも沸いたのだろう。

 村長が離れると、助六は自然とため息を吐いていた。

 本当は金なんかもらわないで、すぐに出て行きたかった。

 でも、この体ではすぐに出て行くこともできないし、寺に世話になっている身の上としては、金ももらわないと困る。

 気持ちに整理をつける良い機会かもしれない。いや、それならなおのこと寺に帰る方がいいが。

 ただひたすらに経を読み、寺の雑用をする日々は、退屈であるが、一番心の平安を保てる。

 昔は周りのもの全てが嫌だったが、今では全てが美しく見えた。

 その助六の変化を受けてか、周りの者も助六と打ち解けるようになった。

 それも全ては今の師匠に出会えたから。

 今でも、彼女が消える最後に聞こえた歌が耳に残る。

 余韻が、体中に響いた。

 まだ、体の中には彼女の温もりが残る。冷たい熱が。

 寺に帰ったら、師匠にどう話そうか。

 あの人は何と言ってくれるだろうか。



 きっと、一生忘れることのできないこの出来事を。



- THE END -


おわり(後書きへ)





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