...小説


たからもの 後


 先帰れと言うと、空気が凍った。ように感じた。
「じゃーな」
 一日が終わり、学校中の生徒が帰っていく中、ユウスケもその中に溶けた。
 掃除が終わった教室で、彼女は自分の席に座って待っている。話があるからと呼び止めたのだ。閉められた教室の扉を見て少し後悔しながら、彼女の前の席のイスに座った。
「帰らなくて良かったの?」
「・・・・・・うん」
 今は友達よりも何よりもあなたと話すことが大事なのです。心の中でそう言うと、霧のようにじわっと勇気が出た。
 ときどき廊下を歩く生徒が見えると一瞬心臓が跳ねる。それでも二人になれたことが嬉しい。
「ごめん、大した話したいわけじゃないんだけどさ、放課後ぐらいしか話せなくて」
「いいよ」
 優しく笑ってくれた。
 話そうと思えば、いつでも話せる。みんなの前で出来ないのをユウスケのせいにしてる自分は、死んでもいいほど最低な人間だ。
 今目の前にいるこの人が全部分かっていたら、この人はものすごく切なく笑ったことになる。でも、どうせ分からないだろう、と思う。
「あの本、なんで好きなの?」
「え? ・・・・・・なんで、だろう」
 そう言って彼女は顔を赤くした。理由を隠している。
「・・・・・・」
 まるで追い詰めているようになるので話題を変えようとしたら、彼女が喋りだした。
「なんとなくだよ・・・・・・なんとなく、暇だから読んでるんだよ」
 なんて大したことのない理由なんだろう。でもどんな答えを期待していたかは分からないけど。
「へぇ」
 彼女はうつむいたままになってしまった。
 血管が見える瞼がすごくキレイに見えて、今にも身を乗り出して口をつけてしまいそうだ。
 瞼にキスしたら、あの本が読めるようになるのかな。
「本、俺読めなくてゴメンネ」
 彼女の顔が上がる。
「・・・・・・なんで謝るの?」
「なんとなく」
 窓から入る太陽の熱が真っ黒な制服に吸収されて、暖かい。
 誰もいない教室の真ん中ににふたりだけ。静かで、少し緊張感があって、でもこんなに心地いい瞬間があるだろうか。
 はじめて真正面にちゃんと見た彼女の顔を思い浮かべて、家に帰り着いた時には星が出ていた。

 すごく天気の良い日だ。朝起きると雲がひとつも無かった。
 なんだか、昨日の放課後の太陽と、今日の太陽が同じだと思えない。
 昼前の授業が終わると、すぐにユウスケがやって来た。
「なぁ、今日天気良いし外で弁当食わない?」
 そう言うユウスケの表情はそこまで楽しそうでない。
「そうするか」
 ユウスケは返事を聞くとすぐさま弁当を持って出口へ向かった。
 教室から出る人のラッシュに混じりながら、出際に彼女を見た。背中を丸めて静かに弁当を食べ初めている。
「はやく行くぞ!」
 今ここに誰もいなければ彼女をもっとちゃんと見ることができるんだなと、なんとなく思った。
 待っていてくれた割には、早歩きでさっさと行ってしまうユウスケの後を付いて行った。

 空は綺麗な水色で、薄くて小さい雲がひとつ、端に浮かんでいる。
 校門と校舎の間の広い芝生に座って、太陽の光を黒の学ランに浴びながら、弁当をちゃっちゃと食べる。
 ユウスケの箸はあまり進んでいない。
 相手から口を開くのを待つことにした。
 食べ終えて、弁当の片付けをして、足を伸ばして、満腹の溜息を吐いた。
「・・・・・・なぁ」
 ようやくユウスケが口を開いたので、見ると、こっちを見ずに急に箸を進め出した。
「なに?」
「お前、やめといた方がいいって」
 弁当を食べながら話す。
「・・・・・・」
「分かるしょ。タナカカナコと話すの」
 なんで?
「あいつ絶対おかしいじゃん」
 どこが?
「話してるときなんかうざいし、ずっと座っててきもちわるいし、何考えてるのか意味不明だし・・・・・・」
 なにが分かるんだ。話したこともないだろ。見てたこともないだろ。話を聞いたこともないだろ。みんなの態度気にして、みんなと違くなることが嫌なだけじゃん。こんな教室から離れたとこでしか言えないし。なにも知らないくせに言うんじゃねぇよ。小心モノ。卑怯モノ。バカ野郎。バカ野郎。
 頭の中で言いたい事がどんどん出てきた。でもその中のなにも言えない。言いたいけど、言いたくない。
 歯を食いしばりすぎて、震える。
 ユウスケは、空気だけの溜息を出した。ユウスケをちらりと見ると、溜息で開けた唇が震えていた。弁当の中身は無くなっていた。ご飯粒がぱらぱら残っている。
 頭の中で言ってた言葉は、絶対に口に出さないことにした。
 どうしよう。
 たったユウスケがこう言うだけで、大衆の意見に流されそうで、泣ける。
 霧の勇気は、この天気に消されてしまいそうだ。
 タナカカナコ、大好き。
 大好き。
 大好き。
 大好き。


 休日に暇だったので、買い物に行く。暇だったので本でも読んでみようかと本屋へ寄った。
 安くて内容の説明もついているので、文庫本コーナーで興味のありそうなものを探す。
 昔から本を読むくせが無いので、なかなかピンとくるものがない。
 ずっと前、人生に一度だけ手にとった文庫本を思い出した。
 もう10年くらい前かな。
 なんだか夢を見ていたようだ。夢のようにあっというまの出来事だった気がする。
『ひとという生き物 田中加名子』
 切ない思い出に浸って、“心ここにあらず”で本を探す。
 結局、タナカカナコだけじゃなく、ユウスケとも縁が切れたっけ。
 やっぱり帰ろうと踵をかえすと、無意識に一冊の本を手にとっていたことに気づく。
 なんで見つかったんだ。
『ひとという生き物 田中加名子』
 3色のパステルカラーでなんの形でもないものの絵。薄い文庫本。
 見つけた。見つけたくなかったけど見つけた。
 恐る恐る中を開く。
 文字があった。文が、ちゃんとある。
 まさかと思いつつ、あの文を探す。
『人はたくさんの能力を手に入れたが、そのかわり失った力がたくさんある』
 あった。
 はじめてあのこの文を目で見て、ようやく理解できた。気がする。
 裏表紙に書いてある説明文を読む限り、内容はなんと恋愛小説だと言う。どんな恋愛したらあの文が出てくるんだ。
 作者は誰だろう。あいつかな。それとも全くの別人だろうか。
 そう思って表紙をめくると、作者紹介のところに顔写真があった。
「うそだ」
『本名、大友優介――』
「あいつ、作家になってたのか」
 開いた口を閉じずに続きを読むと、今度は涙が出そうになった。
『――ペンネームは妻の名前からとる――』
 本を元の棚に戻した。そして何も買わずに本屋を出る。

 なんだ
 結婚したんだ

 同姓同名の人かもしれないが、どうしてもそうは思えなかった。
 本屋から出て少ししたところにある坂を登って、家に帰る。目の前には低くなった太陽がある。
 夕日に照らされて、太陽の中心を見つめると、あの真っ白のページの中を歩いているようだ。
 空には、タナカカナコの座った後ろ姿。
 目を閉じると、黄色い蛍光ペンの線が見えた。



おわり(前編へ)

2007/10/14


これ書き始めたの3月だって(仕事遅すぎ




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