...小説


見つめる太陽 後


 丘の目の前まで来た。
 陽の光はすでに丘の頂上にあたっている。今いる場所は丘に遮られて少し暗い。
「着いたな」
「ここが・・・・・・」
「上るぞ」
 一歩一歩ゆっくりと登る。一歩一歩進むごとに目の前が明るくなっていく。
 もうすぐ頂上というところで目を閉じた。先にちらちら見てしまうのは嫌だった。一気に全て見てしまいたい。一気に外の綺麗な光景を目に入れたい。たとえウサギが逃げても、どうでも良くなった。
 頂上に着いた、と思う。目を瞑っていても光が入って来る。
 そっと、だが勿体ぶらずに目を開けた。
「わぁ・・・・・・これは噂通りですねぇ」
 ウサギがうっとりと感嘆の声をあげた。
 光が向こう側からさして、妙な形のものに当って、なん方向にも曲がって、丘に立つ俺を照らした。
 噂通りなものか。
 皆が言っていた『この世の物とは思えない形のもの』。もっと違うものを想像していたが。
 あれは小さな町だ。視界の真ん中に丸くある。向こう側は緑の長い地平線。少し離れたところに山がぱらぱらとある。
 懐かしい。
 町の中に数本建っているのはガラス張りのビルだ。真ん中には錆びれた時計台がある。周りに様々な形や色の家がある。あの中のひとつは俺の家だ。
 俺はあの町の住人だった。
 今日の夢を思い出した。
 俺は人間だった。
 そうだ。二足で歩いて、自転車にも乗って、車も乗っていた。家族もいて、友達もいて、恋人もいた。家も決して不幸ではなかったし、良い仕事にも恵まれて、いつかは独立できる仕事がしたいと思っていた。
 だけど俺はトラになった。
「・・・・・・トラさん、泣いているのですか?」
「うるさい、お前も泣いているだろう」
 悔しい。馬鹿だ。愚かだ。
 俺は自殺したんだ。
「私は泣いてませんよ」
 目を横にやって見るとウサギはこっちを見ていた。また気のせいだった。
「すまん」
 トラの俺が謝ったので驚いただろう。
「・・・・・・私、目が赤いのでよく間違われるんですよね」
 ウサギは苦笑いをした。俺の間違いを庇っているようだ。
 目を元の位置に戻す。太陽の光はビルに当って反射して、眩しすぎるくらいだ。


「なぁ、ウサギ」
「はい」
「お前は、自分の前世はなんだと思う?」
「前世ですか? えーなんでしょうか」
 こちらを向いて考えるウサギの横顔が間接的に夕日に照らされている。ウサギの汚れは今、見えなくなっている。
「う〜ん、やっぱり私は、昔もこれからもウサギだと思います」
「・・・・・・俺は、お前はトラだったんじゃないかって思うよ」
「えー! 私がですか!? こんなに小さいのに」
 ウサギは照れるように笑った。
 そうだ、お前はきっとトラだ。でなきゃ俺の目をこんなに見れるわけ無いだろ。
 俺も笑った。
「あなたは?」
「俺は・・・・・・。なんだと思う?」
「では、ウサギですか」
 思わずフっと笑ってしまった。
 やっぱりウサギは賢いな。少しの間でもちゃんと俺を観察してる。ウサギのように小さい俺を。
「お前が言うんだからきっとそうだろうな」
「なんですか、それ」
 ふたりで声に出さず笑った。
 そろそろ太陽が隠れるころだ。


「トラさん、ここに来る前、私は家族も友達も置いてきたって言いましたよね?」
 見えてる太陽はもう線のように細い。
「言ったな」
「・・・・・・あれ、嘘です」
 ほんの一瞬の沈黙の後、ウサギは言った。
「私には家族も友達もいません」
 そうか、じゃあ、俺と同じだな。
「同じだな」
 思わず声に出ていた。え? と聞き返すウサギの反応で自分が言ったことに気付いた。
 あ、と思ったら、太陽はもう見えなくなっていた。でも空はまだすこし赤い。
「俺にも家族や友達はいないってことだ」
 自ら捨ててきたのだから。
「でしょうね」
 ウサギは遠くの空を見つめている。反対の東の空にはすでに星が出ている。
「だってあなたはトラですよ」
 トラは常に独り、だから格好良いんです、とウサギは言った。
「お前も独りだろ」
「でも、私はとても寂しいです。本当は逃げてきたんです、ここに。知ってる者ばかりの中、自分だけが独りな気がして」
「へえ」
「逃げる先はどこでも良かったんです。でも折角だからと思い、この景色を見たいと思いました」
 徐々に、空も地も暗くなっていく。
 そろそろ家やビルの電気が点く頃だろうか。
 時計台から時間を知らせる音が鳴った。懐かしいけど、ちくちくと、どこかが痛んだ。
「帰るか」
 暗くなる前に帰りたい。
 夜は、寝たい。
「え?」
 丘を下りようと体の向きを変えたが、ウサギは不思議な様子で俺を見ている。
「どうした? 帰らないのか?」
「あの・・・・・・私を食べるんじゃないんですか?」
 言われて思い出した。すっかり忘れてた。新たに思い出したことに消されたのか、忘れていた。
 星が増えていく。


 洞窟の前に着いた。
 空を見るとまだ完全に暗くなっていないが、草木茂る洞窟の入口は真っ黒だ。
「本当にいいんですか?」
 ここまでついて来たウサギが言った。
「良いって言うんだから良いんだ」
「今日の食料はどうするんですか?」
「一日ぐらい耐えられる。明日はもっと大物が捕まる」
 俺はウサギを食べない事にした。ウサギは何度も、未練は無いだとか生きていても意味は無いだとか、俺が困るだろうとか、言って説得しようとしたが、俺は食べるのを止めた。
「分りました」
 その後、礼を言われた。
「ところで、お前はこれから何処に行くんだ?」
「何処へ行きましょうか。もう目的もなくなりましたし」
 ウサギは顔を上に向けた。ここは木が多くて見える空は少しだ。
「そうだ、あの丘の近くで暮らすのも悪くないですね」
 顔を元の位置に戻し、穏やかに微笑んだ。ウサギは楽しそうだ。
 なんだか、良かった。
 あの丘の近くなら楽しいだろう。景色が毎時ちがうだろうから。有名な丘だから少々客は多いが。そこに住む動物たちを想像した。
 今日は疲れた。いつもの数倍の時間を過した気がする。
 そして、いつもの数倍心が動いた日だった。
 もう眠い。
 立ち上がり、ウサギに背を向けた。
「ウサギ、たまには木の実でも持ってここへ来い」
 赤い目が微かに見開いた。その目は、泣いているようには見えなかった。
 また話をしよう。
 孤独なものどうし。
 お前はトラになり、俺はウサギになる。
 お前も俺も同じだ。
 ウサギの目が細くなったと思ったら、微笑んでいた。
「はい、トラさん」


 ひんやりと暗い石の洞窟の中。
 瞼が重くなる。
 今度はどんな夢を見るのか。
 あの丘で見た景色が出てこればいいな。



おわり(前編へ)

2007/5/26





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